何もやる気が起きなくて、たまには日記でも書こうと思った。
疲れているのかもしれない。病んでいるというほどではないと思う。
面白いことをやればいいじゃないか。楽しいことをやればいいじゃないか。
難しく考えすぎ。
例えばゲームをやる。ゲームをやっても誰も褒めてはくれない。
それ、当たり前だ。ゲームをやってなんで褒められなきゃならないんだ。
別に下手でもなんの問題もない、ただ面白くゲームをやっただけじゃないか。
映画を見る。映画を見ても誰も褒めてくれない。
これも当たり前。すごくもなければ、偉くもない。
当然だよね。「ああ面白かった」でなんの問題もない。
ただ、誰かと面白さを共有できたならいいかと思うけど、人間の感性は個々に違うのだからそういう意味では誰とも共有できない。
ただ、表面的にだけで話しできたら楽しいよね位で良いんじゃないかと思うからいいのか。
まあ、話を元に戻すと、趣味はすごくなくたって、えらくなくたって、上達しなくたって、それはそれ。
そもそも、そういうもんでもないし楽しみを感じられるか、ただそれだけ。
上達しようと頑張れば、まあその時だけ、ある部分だけ上達することはあるが、どうせすぐに忘れるんだ。
これの何が問題なのか。
例えば、ツムツムを必死にやってかなり上達した。
しかし、しばらくやっていなければ当然下手になるし、もう一回一生懸命に取り組んだとして当時ほど上手になれることはない。
だって年取ってるし、それも当たり前。
だから、まあ、本当にその時面白ければ全部忘れたって、やり直したときにその時のレベルに到達しなくたって、そんなのは当たり前だし、そんなこと気にしたって現在進行系で年老いていくのだから気にして人生の質を下げるのは愚の骨頂。
そのように考えられて趣味で本当に苦しまない境地に到達できれば、仕事でどんどん役に立たなくなっていったってショックを受けることなく飄々と生きていけるかもという期待すら持てる。
そもそも年取って仕事を引退するということは、年を取って全く役に立たなくなるからということなので、当たり前といえば当たり前のこと。
俺はこんなものじゃないと苦しむよりも、まあ性能落ちてるし評価はそんなもんだよね。将来期待ボーナスというものがあるとしたら、自分の場合は当然オーナスになるわけで、つまりそれって自分の実力より
評価が低くなって当たり前ってことなのよね。
こんなことを書いていたら少し気が晴れてきたかも。
頭の中で考えを巡らせているだけでは、ずっとふさぎ込むばかりで気分が晴れなかったので、書くということは考えるとは別の効果があるのかな。